本物の私どもの桐箪笥の良さをどうやって、今の日本の方にわかっていただけるのかが、今の大きな課題です。
私たちは大阪と言う桐箪笥に一番こだわる地域で技術を鍛えられました、大阪では「こんな桐箪笥はあかん!」「品物が悪いもっと勉強してこい」と叱咤されました。「日本で一番ええ桐箪笥をもっと作れと」得意先から厳しく言われたものです。
材料や桐の使い方や接合の仕方、引き出しの気密性、仕上げの美しさなど100年前から、目が効く厳しい得意先の仕入れ担当者がいたものです。
「こないだの桐箪笥よかったなぁ しっかり作ってくれてたやん」 と褒めてくれたらうれしかったものです。
その言葉でまた頑張ろうという気になりました、厳しさの中に優しさもあった時代です。
そんな一番取引したもらってた得意先もバブルで外国家具を扱うようになり、バブル崩壊後に負債がかさみ倒産してしまいました。伝統家具の大阪泉州桐箪笥をもっと全国に販売してほしかったのですが、途中に無くなってしまいとても残念です。今でもその会社が残っていればもっと大阪泉州桐箪笥は有名になっていかもしれません。
その時に父と話しをしたのは、これからは1つの会社にすべて販売を頼ることなく販売先は数多くしないといけないということです。
今ではあたりまえの事でしょうが、昔はライバル会社に商品を販売するなんてとても出来ない時代でした。
インターネットの普及で時代が大きくかわり、私どものような小さな工房の桐箪笥への思いをこうやって発信できるようになりました。
思いに共感していただけるお客様にも直接出会える時代になって、流通も様替わりしました。
桐箪笥も今は本当にいい品物は販売されている全体の1割ほどしかありません、とても悲しい現状です。
この本物の私どもの桐箪笥の良さをどうやって、今の日本の方にわかっていただけるのかが、今の大きな課題です。