桐たんすの社長ブログ 阪神タイガースの藤川球児投手の引退セレモニーを見て!
昨日 11月10日 阪神対巨人最終試合 0対4 で阪神タイガースは負けましたが、
9回に阪神タイガースの藤川球児投手の最後の登板があり、
試合後 引退セレモニーがあってその模様をサンテレビジョンで最後まで放送してくれました。
プロ野球関係者のビデオメッセージが最初に流されました。
藤川球児さんの挨拶の中で、プロの同期 松阪投手や上原投手の話や先輩とのかかわり、入団当初 失敗とケガに悩まされていたころ、いままで私が知らなかったたくさんの事をお話ししてくれました。
1999年野村克也監督がドラフト1位指名で高知商業高校から阪神へ入団しました。4年間は全く活躍出来ずに2004年から岡田監督によってリリーフ投手に転向
あの岡田監督率いたJFKと呼ばれた勝利の方程式
2005年のセントラルリーグ優勝を思いだしました。
その挨拶の中で、一番心に残ったのは、
「俺は必ず見返してやる」とのプロ生活での思いと、
アメリカの大リーグから高知の独立リーグへ、
そこから阪神に戻り3年でやっとクローザーになり
自分の心境は「ありがとうの感謝」の思いに変わっていった事を話しされていました。
火の玉ストレートにかけた思いと負け投手になった時の心の葛藤など・・・・
清原和博さんへの感謝の気持ちと清原がいなかったらここまでできなかった事への感謝の気持ち
それは、あの2005年の開幕まもない巨人戦での試合で、阪神10対2でリードした場面 リリーフして満塁でツースリーの場面にストレートを投げないで、キャッチャーの矢野(現監督)のリードで、変化球をなげて清原を空振り三振させた事は、その後の藤川投手の野球人生を変えた大きな勝負だったんです。
と 松阪投手への応援など、
最後に家族への感謝の言葉が・・・・それから両親への感謝の気持ち球児なんて名前 まさに投手そのものの名前なんですもん。
また球団関係者への夢を繋ぐ事への思い・・・・・
最後は矢野監督とのバッテリーの復活!
色んな事を聞けて本当に良かったです。
背番号22番 22年間のプロ生活が終わりました。
今日は 11月 11日 なにかの縁なのでしょうか、
藤川球児さん ありがとう。